2014年8月21日木曜日

【バス終点】てんてつバス/達布留萌線

■終点:達布学校前(たっぷがっこうまえ)

留萌から北東におよそ30キロ、日本海へと注ぐ小平蘂川に沿ってきた山行きバスは、夏草の中をバッタが飛び交う、荒涼とした終点につきました。
ここ達布は、アイヌ語で「湾曲した川に囲まれた内陸の地」を意味する地で、その名の通り小平蘂川に育まれた稲穂がただただ広がる、ちいさな山間の町です。  


今からでは想像もつきませんが、かつてここには、北炭・天塩炭鉱(達布炭鉱)がありました。
達布には映画館から銭湯、商店街まで、おおよそ生活に必要な物が揃っていたことでしょう。

もちろん、閉山から半世紀を経て、当時の面影は殆ど残されていません。
最後に残った旅館は5年ほど前に、同じく最後の食堂は今年の頭に暖簾を下ろしたとのこと。
バスの終点でもある学校も、廃校となって久しいそうです。


そんななか、数少ない名残が、この「てんてつバス」、旧天塩鉄道バスに見られます。
町の中央部にある、廃屋に囲まれて佇む古びたバス営業所は、かつて石炭を運び出した鉄道の駅事務所であった建物なのです。

営業所は、達布の盛衰をつぶさに見てきました。
炭鉱が消え、鉄道が消え、営林署が消え、小学校が消え…。
変わりゆく町の中で、ただひとつの変わらなかった空間なのかもしれません。


ですが、そんな営業所も、次の冬を迎えることはありません。
古くは、年の瀬や留萌の夏祭りのときなど、鈴なりのお客さんを乗せたという達布留萌線も、今年の9月をもって廃止されることが決まっているのです。
運転士さんによると、営業所の建物も運命を同じくするそうです。

ヤマの街が、またひとつ森に還ろうとしています。


(26年8月訪問)

■ 達布営業所
営業所としての機能は既にありませんが、乗務員休憩所としては現役です。
全国的に見ても歴史ある建物が使われている出張所でしょう。
中には、戦前から使われているであろう「乘車券貯蔵箱」まであります。
乗務員休憩所のストーブの横に、外気温の書き込みがされたカレンダーが掲げられていたのが印象的でした。2014年の最高気温は摂氏34度、最低はマイナス25度だそう。

■達布炭鉱
留萌炭田地帯には、ほかにも留萌線沿線の大和田炭鉱や、留萌鉄道沿線の昭和炭鉱や羽幌炭鉱がありますが、達布炭鉱はこれらに比べて小規模で、採鉱時期も短いものでした。達布の入植=貸下げ自体が始まったのは明治40年のことながら、炭鉱が開発されたのは昭和14年から、鉄道が引かれたのは日米開戦後の同17年と、時代をかなり下らねばなりません。閉山は同42年、鉄道の廃止が47年ですから、達布が炭鉱で栄えたのは30年に満たなかったことになります。あえかな炭鉱町でした。

2014年8月9日土曜日

【バス終点】山梨交通/南アルプス登山バス


■終点:広河原(ひろがわら)
「広河原行きの快速です、乗りますか?」「発車、オーライ!」「お釣り、100円です。」

甲府駅発広河原行きの快速バスでは、停留所ごと、車掌さんの声が車内に響きます。

バスの車掌さん。
「となりのトトロ」の世界です。ワンマンバスが普及していない昭和中頃までは当たり前の光景だったことでしょう。しかし、私のような平成生まれにとっては、無縁なものだとばかり思っていました。


山梨交通に車掌乗務の路線があると聞いたのは昨年の春ごろ。
なんでも、南アルプス登山者向けの季節運行路線に、車掌さんが乗っているというのです。

季節限定とはいえ、きちんと路線免許の交付を受けた一般路線バスです。ボンネットバスを用いるなど、いかにもな観光路線風ではなく、ごく普通の中型車で運行されるというのも嬉しいところ。

さて、この路線のハイライトはなんといっても、芦安を過ぎて、白鳳渓谷の断崖絶壁に沿って伸びるバス・タクシー専用道。この美しくも危険な道がツーマンの理由でもあります。車掌さんと運転士さん、息のあった指差喚呼に、手際の良い無線交信で、狭隘区間での離合もなんのその、満員の登山客をしっかりと終点へと送り届けているのです。


今なお残る、正統派ツーマンバス。車窓から望む白凰渓谷の渓谷美と共に、後世まで残って欲しいバスがある風景です。

(25年6月訪問)