2015年2月1日日曜日

【バス終点】伊予鉄南予バス/唐川線

■終点:両沢(りょうざわ)

 「唐川と言ったら、やっぱりビワですよ。」
 あまりの閑散ぶりに、政治路線との噂もささやかれる唐川線ですが、幸か不幸か、沿線生まれの運転士と2人きりの車内、会話は弾みます。ローカルバス旅の醍醐味のひとつです。その運転士がとにかく太鼓判を押すのが、名産の「唐川ビワ」。

 ミカンにイヨカンなどなど柑橘類の影に隠れて目立ちませんが、実は愛媛県のビワ生産量は全国でも屈指のもので、ここ数年は長崎、千葉に次ぐ第3位を誇っています。そして、その県内生産のほぼ全量を担っているのが、ほかならぬ唐川なのです。

はじまりの郡中バス停

 これらのビワ産地は、郡中と両沢を結ぶ伊予鉄バス唐川線の沿線そのもの。伊予市南部と砥部町を隔てる谷上山の南麓にあたり、東方に聳える障子山に源を持つ森川に沿ってのびています。この川は典型的な支流ですから、これに沿う村々も、本流にあたる大谷川に沿ってひらけた大洲街道上の町とは異なり、川べりにへばりつくような山村ばかりです。

 そもそも「カラ」という地名は「涸」「枯」から取られていることが多く、河川の上流の水の乏しいところや、斜面などによく見られると言われています。唐川は、土地もなければ、水もない、なかなかに厳しい地勢だといえます。

森川沿いには桜並木も

 そのような村の人々が暮らしの糧としたのが、ろうの原料であるハゼノキと、そしてビワの栽培なのでした。その歴史は古く、すでに藩政期・天保年間に編纂された『大洲秘録』に村の産物として名前が挙げられており、さらに明治43年に出版された『南山崎村郷土誌』には、山中に自生していたビワを「今より凡そ百年前、仝村に中村清蔵なる者あり、初めてこれを籠に入れ、郡中町に持ち行き、僅かなる金銭に換えて枇杷実の金銭となりしを不思議なる如く村人の語り伝えしと云う」とあることから、19世紀のはじめ頃から商品作物としての栽培が行われていると考えられます。

 そして、明治35年には村人の吉沢兼太郎氏が、中国大陸にルーツを持つ品種「田中びわ」を導入。これは在来品種の倍以上もある大果であり、たいへんな評判をよんだそうです。これをきっかけに、ランプや電灯の普及で需要が減少する一方のハゼノキ栽培は廃れ、初冬の森川沿いには枇杷の花が咲き誇るようになりました。

 バス終点の両沢は、そんな森川沿いの最上流、どん詰まりにあたる集落。ここでは至近から取れる砥石も有名ですが、ご多分に漏れず、ビワの木々も目立つところです。山の斜面にも、家の裏手にも、朽ちかけた木製バス標識の横にも、しっかりとビワの木が植えられています。

道路脇にも琵琶、そして後ろに聳える障子山 終点両沢付近である

 しかしながら、頼もしい唐川ビワとは異なり、モータリゼーションの波に洗われた唐川線はすっかり青色吐息のようです。本数はわずかに1日2往復。このようなバスの主なお客さんは通学生やお年寄りですが、ここでは同じ区間に自治体運行のスクールバスや無料の福祉バスが走っていることもあり、空気ばかりを運んでいます。なにより、伊予市内を走っていた路線バスは、ほとんどが既に廃止されているのです。

 「どうして今まで残っとるかがわからんよ。いつ消えるやわかりゃせんね。」
 また私だけを乗せ郡中へ戻る道中、山腹までびっしり植えられたビワの木々や、上唐川の立派な選果場を横目に、ロートル車のハンドルを握る運転士はポツリと呟きました。

■伊予鉄道唐川線の歩みと唐川線のこれから
 注)鍵括弧書き路線名は免許上の路線名、それ以外の路線名は営業上の路線名を示します。

***開業から全通まで***

昭和52年路線図表より関係箇所抜粋

うち郡中栄町経由は後に廃止されている
また延伸構想があった外山も確認できる
(クリックで拡大)
 残念ながら唐川線の運行がはじまった時期は定かではありません。
 伊予鉄道が三共自動車を吸収合併する際に受けた免許(全て合併日である昭和18年12月23日免許)のなかに、伊予郡南山崎村大字大平甲1098と同村大字下唐川甲92の1を結ぶ「唐川線」2.7キロが存在していることから、少なくとも三共自動車時代までには開設されていた路線なのは確かなのですが、三共関連の資料は多くが戦災で焼失しており、伊予鉄道側でも運行開始の時期はわからないそうです。伊予市誌などの沿線郷土誌にも、バス関係者の回顧録にも記述は見当たらず、見当もつきません。

 ただ、伊予鉄道に引き継がれた時点で運休していたことは間違いなく、その再開は昭和24年11月18日まで持ち越されることになります。 再開にあたって、伊予鉄道は免許区間の延長を申請しています。「唐川線」の終点下唐川停留所から南山崎村大字下唐川字豊岡333の第2に設けた豊岡停留所までを「下唐川線」1.5キロとして延長し、これに既存「内子線」の一部を合わせたのが新生・唐川線で、郡中と豊岡を結ぶ9.9キロの路線でした。なお、後の路線図表では豊岡停留所の記載が見当たりませんが、距離や住所、その後の変遷史から推察するに、現在の唐川停留所そのもの、もしくは至近にあった停留所だと思われます。

 運行回数は平日休日問わず1日6回(3往復)、運賃は郡中から上唐川までで25円、豊岡までで30円。主たる使用車両は既存の18人乗り昭和12年式フォードとかなりの古参車で、木炭発生炉付の代燃車。年式からおそらく他事業者でも広く使われたV-8型だと思われます。所属営業所は24年10月10日に開設されたばかりの松山営業所(榎町営業所から移転、現在伊予鉄本社がある場所)でした。また、佐礼谷線の項でも記述しましたが、この代燃車は翌々年頃までには置き換えられていると考えられます。

 唐川線が現在の形になったのは、 昭和37年7月16日のことです。免許路線名は不明ながら、唐川から現在の終点である両沢停留所までの2.0キロの間が、同年7月7日に延伸免許されています。この改正では松山までの直通便が設定されており、これは昭和35年4月の時点では存在しないことから、おそらくこの時にはじめて設定されたものだと思われます。なお、同改正での1日あたり運行回数は平日休日問わず郡中・両沢間が1.5回、松山・両沢間が2回、唐川・郡中間が0.5回となっています。

両沢延伸と外山延伸構想を伝える広報「いよてつ」通巻66号

   ちなみに、当時の社内報をみると、さらなる延伸構想についての記述があり興味を惹かれます。両沢から鵜崎峠経由で外山(砥部からの路線があった)へ至るというもので、延伸のあかつきには大平砥部線として砥部まで直通させることが考えられていたようです。もちろん、この構想は実現していません。


***全通以後***
 佐礼谷線と同様、これ以降はわかる範囲でのみ記述します。
昭和58年10月16日改正の関係時刻表
まだ松山バスターミナル直通便がみられる

 【昭和58年10月16日改正】時刻表によると、郡中・両沢4回(うち0.5回は日祝および学校休暇中運休)、松山・両沢5回と昭和37年当時と比較して増便がされていることに加え、一部便(全線計9回中の4回)が稲荷神社前・伊予市庁前間において、港南中学校前すなわち国道56号線を経由する現在の経路に改められています。ちなみに、58年改正時点でこの区間を走るのは唐川線の一部便に限られていることと、【昭和52年】時点での運行路線図表に同区間が記載されていることを併せて考えると、52年時点では既に港南中学校前を経由する便が設定されていたと考えることができるかもしれません。

  唐川線の最盛期はこの頃であったと考えられ、昭和60年11月15日現在の運行回数一覧によると、58年時刻表の直後である【昭和59年3月6日認可】で減便が行われています。この時点での回数は、 郡中・両沢1.5回、松山・両沢2.5回となっており、松山行きのうち1.5回が港南中学校を経由しています。

 続いて確認がとれるのは、【平成2年12月25日改正】時刻表においてです。港南中を経由しない便がさらに減便されたことに加え、日曜祝日の全便運休化、松山直達便の全廃が行われており、現在のダイヤに近づいています。回数は4回(2往復)のみとなり、午後に両沢を出る0.5回を除いて全て港南中経由という、スクールバス然としたダイヤになりました。

 また、【平成6年10月16日改正】より、運行会社が伊予鉄南予バスへと移管されています。同社は平成元年8月8日に、主に南予地方のローカル線を担う目的で設立された伊予鉄道の地域子会社です。唐川線は松山バスターミナルへの乗り入れが廃されていたこともあり、中予地方で完結する路線ながら路線移譲の対象となったのです。これにより同路線の担当営業所は伊予鉄道自動車部松山営業所(注:1)から、伊予鉄南予バス内子営業所へと変わることとなりました。

平成21年11月1日改正の時刻表
平日のみ2往復 全て港南中学経由である
  このダイヤは全く変わることなく20年近くに渡って維持されますが、南予バスの全社的な路線再編が行われた【平成21年11月1日改正】で担当営業所が大洲営業所に変わるとともに、現行ダイヤへと修正が加えられています。
 その内容は、ついに全便が港南中学校前を経由するようになり、元来の稲荷神社前・栄町・郡中経由便が全廃されたことと、学校の週休2日制化を受けて新たに土曜日が運休日に加えられたことです。運行日の運行本数に変化はありません。
 



  現行ダイヤで特筆されることは、近年では珍しい夜間滞泊が残されていることです。集会所を間借りした宿泊所が現在でも使われています。ただし、翌日が運休日となる金曜日や祝前日は、回送車となり営業所まで戻っています。そして、同じく、休み明けの早朝に回送車として送り込まれてくるのです。

 終わりに、唐川線を取り巻く現状について、少し補足をしておきます。最後となる平成21年の改正から、はや6年が経過しようとしていますが、この間に伊予市では公共交通体系の見直しをすすめており、デマンドタクシーや福祉バスの積極的な導入と引き換えに、多くの一般路線バス(4条バス)を廃止してきました。実にこの唐川線と、同線への送り込みを兼ねているであろう長浜線(長浜・郡中間)は、伊予市内では都市間連絡路線を除くと最後に残った一般路線バスなのです。

 ですが、運転士が嘆いていたとおり、唐川線は無駄が多い路線です。現在ほぼ全線にわたって同一の経路を取る無償福祉バス(利用は60歳以上に限られる)が月曜日と木曜日に4往復ずつ、平日には大平地区にある南山崎小学校までのスクールバスが1.5往復走っており、唐川線は港南中学校生徒(定期代は市が全額補助)を主として、どちらの対象にもならない限られた人々だけの公共交通手段と化していたのです。

 このような各種バスが併存してきた理由には諸説ありますが、ひとつには長らくスクールバスの一般有償利用(一般混乗)を行うと、運行経費そのものが普通地方交付税の対象外とされてきたためだと考えられます。国庫補助を考えた場合、唐川線を廃止にすると、比較的運行距離の長い港南中学校スクールバス(注:2)に加え、福祉バスの対象拡大やデマンドタクシーの導入が必要ですから、結果として高コスト体質は変わらない、というものです。

 しかしながら、平成24年5月の総務省通達により、スクールバス一般混乗も普通交付税の対象とされることになりました。行政側も問題は認識していましたので、伊予市はこの通達をひとつのきっかけとして、唐川線の見直しに踏み込んだ「伊予市地域公共交通計画」を平成26年9月に策定しています。
 ここでは、さっそく平成26年度中に4条バスを見直すこと、27年度に旧伊予市域においてコミュニティバスを実証運行すること、28年度にスクールバスの一般混乗を目指すこと、が明言されていますから、一般路線バスとしての唐川線はいよいよ廃止される時が近づいてきたようです。

 唐川線と長浜線に対する伊予市の運行経費補助金は年間1300万円(24年度)。馴染みのオレンジ色のバスに乗って本場のビワを買いに行くことができなくなるのは寂しい気もしますが、空気ばかりを運ぶにしては、あまりに高すぎる対価であるとも思うのです。

終点・両沢 いつまで伊予鉄バスがやってくるのだろうか
なお写真右端に見える焼杉の家が運転士宿泊所である
注1:現在の松山斎院営業所。松山室町営業所は平成4年の設置です。ただし車庫自体は既に室町にあり、唐川線車両は室町駐車場に常置されていました。
注2:仮に設定すると、伊予市内では双海中学校スクールバスに次ぐ長さになります。ただ、双海中スクールは利用者も多く、かつ中学校単独なので1往復で済んでおり、便あたり利用者数では市内時点の南鵜崎小スクールと比して倍以上の開きがあります。単純比較は難しそうです。

(誤りがあればご教示いただけると幸いです/出典の明記は一部を除き省略しました/あくまで読み物として捉えてください/平成24年8月投稿記事を加筆改稿いたしました。)

2015/06/03修正/南予バスへの移管時期ならびに所管営業所に誤りがありました。

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